1951-10-29 第12回国会 参議院 電力問題に関する特別委員会 第3号
○参考人(藤波收君) 今のお話のようなのは、これは古池さんも御承知であると思いますけれども、先年石狩火力というのが炭鉱四社か五社と発送電と合同しまして、いわゆる一種の共同火力の形式でやりました。それが後に日本発送電に引継がれまして、今の砂川火力になつておるわけであります。今のような構想でやりますことは、今は計画をいたしておりませんけれども、そういうことも非常に面白いやり方であると思います。
○参考人(藤波收君) 今のお話のようなのは、これは古池さんも御承知であると思いますけれども、先年石狩火力というのが炭鉱四社か五社と発送電と合同しまして、いわゆる一種の共同火力の形式でやりました。それが後に日本発送電に引継がれまして、今の砂川火力になつておるわけであります。今のような構想でやりますことは、今は計画をいたしておりませんけれども、そういうことも非常に面白いやり方であると思います。
六月十三日は札幌地区でありまして、札幌地方経済安定局、同管区経済調査廳、同通商産業局、北海道廳、それから北海道酪農協同株式会社、帝國石油株式会社石狩油田、石狩地区灌漑施設、篠路村種蓄場、大日本麦酒札幌工場、これらを視察、調査いたしたのでありまするが、十四日には夕張地区へ参りまして、北海道炭鉱汽船株式会社清水沢発電所、同社の夕張鉱業所、夕張市役所、十五日には東洋高圧の北海道工業所、日本発送電の石狩火力発電所